| <頭蓋骨>ネアンデルタール人の化石頭蓋骨に謎の弾丸 |
まず、「ネアンデルタール人の弾痕」と称する写真を見ていただきたい(写真)。この頭蓋骨は1921年、アフリカのザンビアで発見されたネアンデルタール人の化石人骨である。ネアンデルタール人といえば、人類の祖先といわれているが、その旧人の頭蓋骨の左側側頭部に高速で貫通した弾丸の後らしきモノがあったのだから、発見者は腰を抜かして驚いた。ヨーロッパで銃が発明されたのは14世紀。それなのに、どうして10万年前の化石人骨の頭蓋骨に弾丸の後が残っているのか?しかも,発見された場所は地下18メートルもの地中なのだ。考古学者に持ち込まれたが、どう考えても説明がつかないために、ベルリンの法医学者の専門家がこの頭蓋骨の調査に乗り出した。法医学者というのは警察から委嘱を受けて死体を解剖して、死因について原因究明に当たる専門家。だから、頭蓋骨を調べればすぐにきちんと説明もできるはずなのだ。そこで、出た結論は高速で発射された弾丸が左側頭部に入り、反対側に貫通して破壊された跡らしいということがわかった。
なんと10万年前の化石人はやはり頭蓋骨を弾丸で撃たれて死んでいたのだ。10万年前といえば、化石人たちが石斧や石槍で獣を狩猟して暮らしていた時代である。どうしてそんな時代に銃火器があるのか?いくら考えても説明ができないし、納得できないのである。しかし、紛れもなくこの頭蓋骨には弾丸で破壊された跡が残っているのだ。この時代に銃火器があったとすれば現代科学の常識を覆す証拠となるだろう。そして、こうしたオーパーツは相次いで発見されて、我々を驚かせているのだ。
| <足 跡>3億年前の地球最古の生物化石に人間の足跡 |
1922年10月8日付けのニューヨーク・サンデー・アメリカンという一般紙に、次のようなショッキングなニュースが載った。「500万年前の“靴底”化石の謎」というタイトルで、原稿を書いたのはW・H・バルー博士。問題の靴底化石を発見したのは鉱山技師、地質学者のジョン・T・リード。しかし、このバルー博士が発表した500万年前という時代区分が、あとで調べていくうちに、誤りであることがわかった。ニューヨーク大学の地質学者ジェームズ・F・ケンプ博士や自然史博物館のH・F・オズボーンらの研究によって、この化石は中生世代の三畳紀であることがわかった。三畳紀といえば約2億1000年〜2億5000年前の時代。その当時には恐竜が地球を支配していたのである。なんと恐竜が生活していた時代の化石に靴跡が見つかったのだ。しかもその靴後は、靴先は欠けていて、靴底の部分が化石になっているのである。顕微鏡写真専門家と分析化学者は20倍に拡大した写真を鑑定して、「靴底の輪郭だけではなく、縫い糸のごく微細なねじれやよじれが見え、等間隔に並んだステッチ用の針穴まで確認できるが、現在(1922年)のものではなく、しかも細い。この靴跡は職人の手で作られたモノである」と発表した。さらに、5年後の1927年1月、アルバート・E・ナップという化石収集家が、ニューヨーク州のバーシング郡の石炭層付近で化石化した靴跡を発見したのである。やはり詳しく調べた結果、この化石は三畳紀のモノと鑑定された。
そうなるとこの靴跡をつけた人間は恐竜と共存していたということになってくる。しかし、こんなことは考古学の常識ではありえない。
さらに、1980年代の半ばになって、約4億年前の鉄製ハンマーがアメリカのテキサス州オルドヴィス紀砂岩層から発見された。この発見に考古学者は驚き、あきれ返った。オルドヴィス紀といえば、古生代の初期にあたり、人類はおろか恐竜すらも現れていないのである。三葉虫や原始魚類が海中で暮らしていた時代なのだ。しかし、この鉄製ハンマーは紛れもなく人造で作られたハンマーであり、しかも鉄製であった。もし、これが本当なら今から4億年も前に、誰が鉄製ハンマーを作ったというのか?考古学者は頭を抱えて悩んだ。そしてこの悩みは1968年に再び起こった。ちょうど今から33年前のアメリカ・ユタ州のアンテローブ・スプリングでトンでもないシロモノが見つかったのだ!発見したのはアマチュア化石収集家のウィリアム・マイスターで、3匹の三葉虫の化石には、サンダルの底のような足跡があったのだ。長さは26センチ、幅は8・9センチ。まさに人間の足のサイズである(写真)。しかも、よく見ればカカトのあたりが窪み、三葉虫を踏み潰しているのがわかる。これにはアマチュア化石家も驚いた。三葉虫は古生代の3億年以上も生き延びていた生物で、恐竜よりも歴史は古いのだ。そして三葉虫の化石が発見されたのはカンブリア紀前期の5億4500万年前。
最近の研究では三葉虫の起源は約6億年前の「ヴェンド紀」にまでさかのぼると言われている。標準的な体長は約8ミリと小さく、目がなく、体節が2つしかない(写真)。こんな地球最古の化石生物ともいえる三葉虫を人間の足跡で踏み潰しているのだから誰しも驚くのは当たり前だ。なにしろ、人類の祖先が現れたのは約500万年前だ。履物が登場したのは紀元前2世紀。学者たちは頭を抱えて困り果てた。どうしても説明がいかないのである。そこで、無理やりにいろんな意見を出した。ユタ大学地球科学博物館の研究員ジェームズ・マドセンは、「自然のプロセスの中で、たまたま靴跡に見える形が出来た」と――。あるいは、ユタ大学人類学者ジェシー・ジェニングは、「大きな三葉虫が、小さな三葉虫の上に覆い被さった」と説明した。しかし、この発見からしばらくして、最初に発見された地域から同じ三葉虫の化石が見つかったのである。そこにも、「サンダルか靴跡の跡」が残っていた。その化石を詳しく調べた同大学のメルヴィン・クック教授は、「靴跡」であり、「三葉虫は最初に発見された化石と同時代のモノ」として鑑定したのだ。これはいったいどういうことなのか?やはり、三葉虫を靴か、サンダルのような履物で踏み潰した人間が歩いていたのか?もし、そうだとすれば人類の祖先が登場する500万年以前にどんな生き物が履物で足跡を残したというのか?考古学者も人類学者も頭を抱えて悩むのである。謎はますます深まるばかりなのだ。
1929年、トルコのイスタンブールにあるトプカプ宮殿博物館の保管棚からホコリまみれの古い地図が発見された。この地図は残念なことに右半分が紛失していたが、鑑定の結果、16世紀のオスマン・トルコ時代の海軍提督ピリ・イブン・ハジ・ムハンメドが、1513年から1528年にかけて写したものであるとわかったのである(写真)。そして、この地図を学者たちが調べていくうちに不思議な謎が相次いで出てきたのだ。まず、一番目に地球がまだ平面だと信じられていた時代に、この地図にはどう見ても上空から地球を観測して測定したとしか考えられない、特殊な歪みがある。カイロを基点にして作成された球面三角法という技法で精密に作成されているからだ。これはどうしても説明できない謎だ。カイロ上空から人口衛星で地球を見下ろした地形とまったく同じなのだ。厳密にいうと、この地図の作法は第二次世界大戦中にアメリカ空軍が作成した正矩方位図法によって作成された地図に酷似している。これは現代の航空用に使われている地図とまったく同じ作成法で描かれている点で不思議なのだ。この時代はコロンブスがアメリカを発見してから20年ほどしかたっておらず、南米大陸も発見されたばかりである。だからこうした正確な地図はヨーロッパのどの文明国には存在していなかったはずなのだ。この時代はポルトラノと呼ばれる技法で地図は作成され、放射線網を張り巡らした地図が登場して、17世紀後半まで盛んに利用されていた。球面三角法が完成したのは18世紀に入ってからである。二番目の謎は、この地図をよく見ると右側にはアフリカ北西部、大西洋を挟んで、キューバやジャマイカなどの中米諸国や南米大陸の東海岸が克明に描かれ、しかも下部には南極大陸も正確に書かれている点が謎なのだ。南極大陸が発見されたのは1800年代である。しかも驚くべきことにこの地図には南極大陸が正確に描かれ、海岸線はもとより、大陸に存在する山脈、そしてその高度までもが正確に記されていたのだ。ピリ提督はこの地図を作成するにあたって、当時入手することのできた古地図やコロンブスの地図、平面図などの海路図などを参考にして作成したか、もしくは、原図があったと考えられる。そして原図があるとすれば過去に南極大陸を測定した地図がその中に入っていたはずなのだ!そして三番目の謎は、その原図があるとすれば南極大陸は厚い氷床に覆われているため、もし測定したならば、その氷が溶けていた時ということになる。しかし、現代科学によると南極大陸が氷床に覆われていなかった時代は今から1万5千年も前のことなのだ。そして四番目の謎は、そんな太古の時代に現代文明に匹敵する測量技術があったかという点だ。このようにピリ・レイスの地図には、一番目に球面三角法という現代科学の技法があること。二番目に未発見の南極大陸が精密に描かれていること。三番目は南極大陸が氷床で覆われる以前に測定されていたこと。四番目は1万5000年前に高度な測量技術があったのかということ。しかし、どうやらピリ・レイスの地図は原図を写したものであり、原図は古代最大の知識の宝庫といわれたアレクサンドリア図書館(紀元前48年焼失)に保管されていたのではないかとピリ・レイスの研究家たちは推測している。アレクサンドロス大王の帝国が滅んだ後,エジプトにはプトレマイオス朝が成立するが、プトレマイオス1世は首都アレクサンドリアを学術文化の中心とすべく,王立研究所(ムセイオン)を作り,多くのギリシア人学者を招聘して大図書館を併設する計画を立てたのである。次のプトレマイオス2世も財力に物を言わせ、蔵書の充実に力を入れた。当時のアレクサンドリア図書館には70万巻を超える書物がそろえられたといわれているのだ。
これだけの図書ともなれば、その分類だけでも大変な作業になる。そこで、アレクサンドリア図書館にはピナケスと呼ばれる図書の分類目録があったようだ。カリマコスという詩人・文献学者が目録を作り、図書を詩人、法律家、哲学者、歴史家、雄弁家、その他に分類して、彼の作成した目録は120巻もあったといわれているが、現在は残念ながら失われている。印刷技術がなかった時代、すべての本は写本によって作られていたらしい。当時の「本」は、「読むもの」というよりも「書き写すもの」だったようである。しかし、この世界最大の図書館は一般公開されておらず、もっぱら学術研究用として王朝が認めた一部の人たちが利用していたようである。そしてこの図書館には太古の時代から引き継がれていた門外不出の写本の古地図があったのかもしれないのだ。地図の歴史は古く紀元前3世紀後期のメソポタミヤ粘土板に記されたニップール市外図が最初といわれ、13世紀になってやっと海図が現れたのである。しかし、そうした地図はすべて三角技法ではなく、平面図で作成されているのだ。アレクサンドリアに眠っていた太古の地図はいったい誰が作成したのか?残念ながら、アレクサンドリア図書館は残っていないのでわからない――。
コロンビアの首都ボゴダの黄金博物館に展示されている「黄金のシャトル」はあまりにも不思議な工芸品である(写真)。この遺物は紀元500年から800年頃に栄えたプレインカ帝国のシヌー文化のものだと言われている。高さ1・5センチ、幅5センチの黄金細工で、首からペンダントのように下げた支配階級の装身具だと考えられている。この時代の黄金細工は動物や昆虫など、装飾する人たちの身の回りや生活品が多い。しかし、この黄金のシャトルはよく見れば、なんと飛行機に似ているのだ。このことを発見したオーパーツの名付け親アイヴァン・サンーダソンは飛行機の機首、コックピット、主翼、胴体、垂直尾翼と水平尾翼などの類似点から、これは飛行装置を模したモノだと考えたのだ。そこで、複製品をニューヨーク航空研究所に送り、航空力学の専門家に鑑定を依頼した。「デルタ翼と胴体の形状から判断し、この物体の推進機関はプロペラ式ではなく、ジェット式かロケット式、あるいは未知の推進機関であるだろう」という回答であった。さらに、航空設計技師のアーサー・ヤングは「この物体は航空から降りる着陸船というべき構造である」と推測した。日本のオーパーツの権威・南山宏氏はこれを、「黄金のシャトル」と名付けたという。
「水晶のドクロ」と呼ばれる不思議なオーパーツがある。これはパリ人類博物館に所蔵されている水晶ドクロで、ガラス製品ではなくすべて一個の巨大な水晶から削りだして作ったものなのだ(写真)。水晶ドクロは全世界に13個あるとされていて、マヤ時代の紀元300〜800年頃に作られたと推測されている驚異のテクノロジーなのだ。どうしてテクノロジーかといえば、水晶はロック・クリスタルと呼ばれ非常に硬い。ダイヤ、サファイヤ、ルビー、トパーズに次いで硬く、モーズ式10段階硬度基準では7番目である。当然に、マヤ・インカ時代に使われていた銅器製工具ではまったく歯が立たない。現代の技術をもってしてもかなり難しく、同じように作るとすれば相当の時間もかかるのだ。マヤ・インカ人たちがいったい何のために作り上げたのか?どのような道具を使ったのか?まったく謎である。
1961年、ペルー中部の砂漠のオアシス都市・イカで黒い地に線刻画が刻まれた石が大量に発見された。しかも、これらの石には超古代の大陸・パンゲアと恐竜、人間の心臓移植、麻薬や点滴、車などが線刻で詳細に描かれ、それらの石を見た考古学者は一様に驚きを隠せないのだ(写真)。なんとこれらの遺物は約6000万年前の時代を描いていたのだから驚愕しても不思議ではない。なにしろ、恐竜と人間が協力して魚を獲っている図や恐竜が人間を襲っている図、反対に、人間が恐竜を狩っている図などがリアリティー詳しく紹介されているのだ。しかも、そうした線刻画で刻まれた石以外に、頭蓋骨を手術された人骨が大量に発見されたのだ(写真)。手術跡の穴はふさがれ、長く生存していたと現代医学者たちは驚く。しかし、その医学的知識や技術は謎に包まれたままなのだ。さらに、なんのために手術をしたのかさえ、まったくわからないが、現代に匹敵する高度な医学的知識や技術が当時あったモノと推測される。 |