日本裏紀行

驚異の伝承と新説
トンでも不思議発見
VOL.3「日本人の謎」


 不思議な国、日本。そして日本人は多くの謎に満ちている。信じられないような伝承や驚愕すべき新説が相次いで発見されているのだ。今回は日本人の謎とキリスト伝説、いろは歌、浦島太郎伝説などを紹介する。

北海道
北海道の洞窟に異邦人の痕跡?!
 明治2年(1869年)に、蝦夷を北海道と改名されるまで、北海道は「蝦夷」と呼ばれていた。蝦夷とは「エミシ」と読み、エゾに転化した古語である。本来の意味はもともと、「強い人達、恐るべき人々、けれども敬意を払うべき人達が住む朝廷の支配外の地域」という意味があったらしい(工藤雅樹著「蝦夷の古代史」)。7世紀半ばに大和朝廷の勢力拡大により、蝦夷も領地に組み入れようと武力と懐柔政策がとられ、最初は越国の管轄であったが奈良時代初期和銅5年(712年)出羽国に属していた。
さて、北海道や千島列島の地域には多くのアイヌ人が住んでいた。明治の開拓使が置かれた当時、北海道に住むアイヌは1万2千人と記録にある。ところが、同じアイヌ人でも北海道に住むアイヌ人と千島列島に住んでいたアイヌ人はまったく異なる骨格や容貌をしていたらしい。
1713年頃千島列島探検をしたロシアのコサックが皇帝ピョートルに出した手紙に、次のような驚く記録が残っている。「クリル人(アイヌ人)は、他のすべての沿海住民と同じくずんぐりしているが、男性の中にはかなり背の高い均整のとれた体をした者もいる。彼等は浅黒い皮膚をして全身毛で覆われている。目はつり上がり顔は平ベッたくない。時として丸く整っている。女性の間には、太平洋の島々からここだけでなくツングースやアリュート、チュクチまで広まった入れ墨さえなければ、ヨーロッパ人のタイプの美しい容貌も見受けられた」
しかし、こうした千島列島に住むアイヌ人や北海道に住むアイヌ人とも違う、謎の異邦人が北海道に住んでいたのではないか?そうした事実を示す「証拠」が見つかっている。その証拠とは、小樽市にある「手宮洞窟」と余市町の「フゴッペ洞窟」だ。手宮洞窟は慶応2年(1866年)相模国(現在の神奈川県)小田原から、ニシン番屋の建設に来ていた、石工の長兵衛によって偶然に発見されたもので、フゴッペ洞窟も昭和25年、北海道余市町の海岸に海水浴に来ていた中学生によって偶然に発見されたのだ。これらの洞窟で、なんと「陰刻画」と呼ばれる岸壁画が見つかったのである。こうした岸壁画は中国やロシア・朝鮮半島などに見られるが、日本にはこの2つの洞窟以外に発見されていない。国の史跡指定を受けて、考古学者の第一級の研究対象になっている。(写真)角のある人や四角い仮面のようなものをつけた人の陰刻画は、およそ1600年前の続縄文時代に刻まれたものだと推定されている。この陰刻画を彫った彼らはいったい何者なのか?どこから来たのか?そうした疑問は浮かぶが、古代突厥(とっけつ)人説、フェヌキア人説など諸説あるが、謎に包まれている。古代突厥(とっけつ)人というのは、ロシア連邦アムール川下流を中心にして定住していた原ギリヤーク人である。この陰刻画は北東アジア全域でかつて広く見られた、シャーマンを表現したものではないか?といわれているが、確証はない。さらに、7世紀中国東北部に栄えた靺鞨(まつかつ)国の人たちが彫ったという説もある。北海道は大陸に近く、多くの異民族が日本に渡来して日本に帰化しているからだ。中国の道教の古伝には、大陸から渡来する紀元前の日本には八鏡化美津(やきょうかみつ)という古代文字を使う、極めて知的水準の高いアシア人たちが住んでいたというのだ。彼らは日本全国に分布して居住していたとされる。鉄を製造し、哲学や医学(易の思想や漢方等)などの文化を持っていたらしい。現在のアジアという名称は彼らに由来しているといわれている。

アイヌ人は縄文人の子孫?!
 最近の研究ではアイヌ人は縄文人の子孫ではないかと言われている。その理由として、アイヌ人と縄文人の人骨から類似点が多く見つかったからである。5900年前の縄文人の人骨が埼玉県戸田市から発掘されたが、この縄文人のミトコンドリアDNA配列のうち、解読された564文字はすべて現代のアイヌ人と見事に一致したというのである。通常、DNA配列は同じ日本人でも564文字中、6文字くらいは違う。ところが、縄文人とアイヌ人は1文字の違いもないというのだ。そうした科学的根拠からアイヌ人は縄文人の子孫ではないかという可能性が高まっている。さらに驚いたことに、現代人27,000人のなかで、アンデス住民にもっとも近いのがアイヌ人であったというのだ。驚いたことに、現代アイヌ人はペルーのクスコに住むラウルさんのDNA配列とわずか2文字しか違わない。クスコはいうまでもなく、古代インカの首都・マチュピチュに近い場所にあり、ラウルさんは古代インカの子孫とされている。ラウルさんのDNA配列を調べたところ、なんと、6000年前のインカのミイラ12体と一致したというのだ。こうした事実から、縄文人や古代インカ人も祖先は同じであったことがDNA配列で裏付けられたのである。縄文人の祖先は、約1万年前にシベリアから陸地化したベーリング海峡や宗谷海峡を渡ったものとみられている。さらに、読売新聞のニュース速報によると、愛知県がんセンター研究所疫学部(田島和雄部長)と鹿児島大医学部ウイルス学教室(園田俊郎教授)は、南米チリとペルーの1500〜1000年前のミイラ6体から細胞核の遺伝子を取り出すことに成功した。この遺伝子はアンデス先住民が九州西南部の住民が持っているヒトT細胞白血病ウイルス(HTLV1型)を多く保有していることを突き止めたのである。アンデス先住民の祖先は日本列島に定着したアジア大陸の先住民とルーツが同じである可能性が高まっている。アイヌ人と縄文人に関してはますます謎が深まる一方だ。