<四国>
標高1955mの剣山は昔から険しく、人を寄せつけない神聖な山として知られている。ここにソロモン王が莫大な財宝を隠したという伝説がある。一説には時価1兆円ともいわれ、モーゼの契約の櫃もあるというのだ。古代ヘブライ王国の最盛期の王として、古代エジプトの財宝を凌ぐ、何倍もの黄金、秘宝を集め、史上空前の栄華を誇ったのがソロモン王だ。さらに、古代イスラエルのダビデの街に壮大な「ソロモン神殿」を築いた。レバノ ン杉を豊富に使い、当時のフェニキア建築技術の粋を集めた、華のような都だったという。聖書に「見よ、アッシリアはレバノンの杉。美しい枝、茂った木陰、そのたけは高く、その梢は雲の上にある。……神の園にあるどの木も、その美しさにはかなわない」(エゼキエル書31)と讃えられたレバノンスギはレバノン山脈を中心に、樹齢数千年、中には6000年の古木もあり、人跡未踏の巨大な森を造っていた。真直ぐに立ち、板状に枝を張った堂々とした樹形、その材は腐りにくく、芳香を放ち、エジプトのピラミッドから発見された「太陽の舟」も、ツタンカー メーンの柩も、ノアの箱舟もこの材であるといわれている。「レバノン杉の香りが陸地から40キロの海の彼方にまで漂う。それで船に乗る者はレバノン山脈の近いことを知る」と紀元前5世紀の歴史家ヘロドトスは記したという。かつてレバノン全体をおおっていたレバノン杉は、現在1200本にまで減少し、高度2000mあたりに生えている。
昭和11年(1936年)高根正教(まさのり)という、聖書研究家が「ヨハネ黙示録」を解読して、二度にわたる発掘で、山頂付近地下100mから高さ15mの地底ピラミッドを発見した。他に、大理石のアーチ、レンガ造りの部屋や回廊、100体のミイラが発見したというが、肝心の財宝は見つかっていない。
<九州>
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莫大な財宝を残したジェロニモ・別名天草四朗の謎 |
熊本県天草郡大矢野町に天草四朗公園があり、銅像や墓がある。「天草・島原の乱」にキリシタン一揆の総大将として、寛永14年(1637)16歳の天草四郎時貞が突如として歴史に登場する。天草四朗の率いる原城の一揆勢は陣中旗を掲げ、3万7千がたてこもる。幕府軍12万。3ケ月間も双方の凄まじい戦闘が続いたが、ついに寛永15年2月28日原城は陥落し、天草四郎はじめ一揆勢は全滅。 幕府軍は天草四朗の埋蔵金を調べたが発見できなかった。6キロの黄金の十字架、金銀製燭台20基、南蛮塗りの宝石や王冠、大判小判など莫大な財宝を隠していたと言われている。
天草四郎はキリシタン大名小西行長の家来・益田甚兵衛好次の子で教名をジェロニモといった。天草四朗の陣中旗は1mの方形の布地で、十字軍旗、ジャンヌ・ダルク旗とともに世界三大聖旗と言われている。キリスト教信奉者には非常に重要な意味を持っているものなのだ。現在は国の重要文化財に指定されている。この陣中旗は中央にブドウ酒を入れた聖杯、その上に円形のパンの中に十 字架を描いている。これはキリスト最後の晩餐を顕し、「パンは我が肉、ブドウ酒は我が血」といった意味を持つ。
そして上部にはポルトガル語で次のように書いている。「いとも尊き聖体の秘蹟ほめ尊まれ給え」。天草四朗は重税に苦しむ農民やキリスト教弾圧に反対し、原城に立て籠もる。その数3万7千人。しかし農民たちが天草四朗を首謀者としたのにはわけがある。それは、マルコスという宣教師が日本を離れる時、「末鑑」という一巻の預言書を残していったのである。そこには、日本の地にキリストの再来を告げる一人の天才が現れるだろうと。そして天草四朗こそ、マルコスの予言に現れた人物だと農民たちが尊敬したためである。
菊花紋は日本独自のもので、世界には紋章として存在しないものと思い込んでいる人が多いが、イスラエル共和国エルサレム市に、古代イスラエル王家の石棺がある(ギリシャ正教博物館所蔵)。驚いたことにこの石棺には、菊花紋がはっきりと刻まれている。この石棺はエルサレムの「ヘロデ家の墓」から発見されたものだ。へロデ王は紀元前37年から紀 元4年までユダヤの王として、ヘロデ王家の創始者となった人物だ。イエス・キリストが生まれたときのユダヤの王として有名である。ユダヤ王家の石棺には刻まれた菊の紋章。そして、次に紹介するのが日本の皇室の菊花紋である。 古来、皇室では菊紋と桐紋が用いられていたが、明治元年に16紋の菊花紋を皇室以外で使用することを禁じたという。
ところで、ユダヤの紋章といえば、「ダビデの星」が一般的だ。しかし、このダビテの六芒星はインドのタントラが起源といわれ、古くはインド、中東、ヨーロッパに分布していたもので、ユダヤ独自のものではない。 ユダヤ教のシンボルとして公認されるようになったのは17世紀。「ダビデの星」とはいっても、別にダビデの所有物でもない。当然、古代のユダヤ人が使っていたわけでもない。古代のユダヤでは王家の菊花紋のほうが意義深いのである。例えば、ヘロデ王が築いたエルサレム第二神殿の城壁には多くのユダヤ教徒が訪れ、祈りを捧げる 「嘆きの壁」がある。ここにはっきりと菊花紋が刻まれているのだ。さらに、「嘆きの壁」の向かって左側に大きな洞窟があり、ここで24時間ユダヤ教徒は壁に向かって祈りを捧げられる。そこには書棚がいくつか置かれていて、たくさんの旧約聖書が置いているが、この旧約聖書の背表紙に菊花紋が描かれているのだ。ユダヤ人にとって旧約聖書は信仰の根本であり、大切なものだ。その背表紙に菊花紋が刻まれているのだから驚かざるを 得ない。菊花紋の起源は古く、メソポタミア文明にまでさかのぼる。さらにギリシャ、ローマへと伝播し、ギリシャ・ローマ文明にも高貴な紋章として多く使われた。バビロンの遺跡であるイシュタル門(ドイツのベルリン博物館に所蔵)は、ライオンの絵が描かれ、その下に16花弁の菊花紋がある。その壁面にはバビロニアの竜、バビロン南城の玉座には菊花門が描かれている。
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